特別掲載【能登半島地震の被災地から】北村陽子さんからのお便り。
北村陽子( 住宅医/北村陽子けんちくアトリエ/石川県 )
1月半ばを過ぎた現在、わたしはありがたいことに元気に暮らしています。
ほんとうに、同じ県内で大地震が起こったのかがわからないくらいに普通の生活を送れてしまっている現状に、感謝の気持ちとともに、どこか申し訳ない気持ちです。
本来、人間を守るべき建物が、このような災害で人の命を奪うものとなってしまっているのを目の当たりにし、無力感と、わたしのしていることは一体なんなんだろうという気持ちに陥りました。
また、親しい友人が能登の避難所にいたり、建築関係の知り合いが当初から安否不明者リストに名前があったりと地震後一週間は気持ちの行き場がなく、また娘がそのころから体調不良となり、(いまも熱が出たり下がったりで家にいます、、)余震におびえながらその日その日を暮らすことが精いっぱいでした。ですが、安否不明だったその知り合い夫婦が、ひょっこりと出てきたんです。知人のFacebook伝いに、とても元気な姿を拝見したときには、本当に心が晴れました。
1月10日だったと思います。それがわたしのなかで、何かが変わったタイミングでした。
次の日に、内灘町西荒屋地区に調査に行ってきました。わたしの自宅から車で15分の距離です。被害は能登が大半ですが、海(潟)沿いのこの町も液状化で大変な被害を受けました。
石川県には住宅医がわたししかいない!足で歩いて、とりあえず地震の現状を伝えなくては!と、
そのときは謎に意気込んでいました。住宅医にはたくさんの専門家、先輩方がおいでますから、とりあえず伝えるのが私の役目だと思ったんです。でも現状をみて、ちょっと言葉がでなかったというか、どうしてこうなったんだろう、どうなっている?という、説明できない不甲斐なさに、さらに無力感をあおる結果になり、、。まちにいる人も、「これからどうしていけばいいか わからん」と、みなさん口々にしてました。
そして今週に入り、「家を見てほしい、なおるかどうか相談したい」という電話が相次ぎ、本日かほく市の築70年伝統構法の住宅、来週月曜日は七尾市、水曜日は中能登町へ調査に行ってきます。
本日見てきた伝統構法のお宅は、建物は大きな被害なかったのですが、「余震のたびにすごい揺れなので怖い!なんとかしたい!」という話でした。2階が寝室だそうで、それは揺れるだろうと思いましたが どう解決していいものか、考え中です。
みなさん断水等で不自由な生活をしていて、結構なスピード感を要求されています。それがまた心を焦られますが…。
住宅医スクールで学んだことを思い出して、丁寧にがんばります。
( 写真・文章: 北村陽子 )
©Yoko Kitamura , jutakui
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住宅医の改修事例 No.0135 「金石町家つなぎプロジェクト」北村陽子 https://sapj.or.jp/kaishuujirei2023-135/