住宅医の改修事例No.0119 記憶を繋ぐ改修~ピアノホールのある家
中野 弘嗣 ( 住宅医/水の葉設計社/香川県 )
計画データ
設計監理:Ms建築設計事務所 + 水の葉設計社
施工:株式会社コアー建築工房
所在地:大阪府吹田市古江台
建築年:1968年(昭和43年) 築52年+増築部 1971年(昭和56年) 築39年(改修時)
構造・規模:木造2階建て
用途:一戸建ての住宅
敷地面積:改修前 520.40㎡ → 改修後 260.20㎡
延床面積:改修前 278.8㎡(84.33坪) → 改修後 125.29㎡(37.90坪)
詳細調査:2019年9月3日
工事期間:2020年12月~2021年5月
計画の概要
千里ニュータウンの開発初期に建てられた約85坪の住宅を、家族3人が暮らす家に減築や改修を行った事例です。
日本初の大規模ニュータウンとして計画された千里ニュータウンは、1962年にまちびらきが行われました。今回の計画の物件は、千里ニュータウンがまちびらきして間もない1968年に竹中工務店の施工で建てられた住宅です。その後、家族構成の変化に伴って1981年に増築が行われましたが、現在は広い家に老夫婦2人と次女の3人暮らしをされています。
今回の計画では、建物を大きく減築して敷地を2分割し、分筆した隣地には長男夫婦の家を新築、残った部分を現在住まわれている3人の住宅として改修を行いました。
半世紀に渡って住み継がれてきた家には大事にされてきた家具などがあり、床面積を縮小させる中でどのように残していくかも改修のテーマのひとつになりました。
改修前の住宅
ご主人のお父さんが建てられたという1968年の新築当時の写真が残されていました。建物の構造を把握するための参考にさせて頂くとともに、千里ニュータウンの街並みが形成される前の風景や当時の建築の様子が伺える貴重な資料です。1968年の新築部は竹中工務店、1981年の増築部は大丸が施工されており、確認申請書類や検査済証がきちんと残されていたため、今回の増築の確認申請もスムーズに進める事ができました。
オレンジの範囲が1968年に建てられた部分、青の範囲が1981年に増築された部分です。
方位はほぼ45°振っており、敷地は南東下がりの斜面地で北西が道路に接道しています。
道路から敷地GLに約2mの高低差があり、玄関までのアプローチは10段の階段で上がる必要があります。
□道路からのアプローチ(左)と敷地南東の庭から1968年新築部分を見た様子(右)
□庭から1981年増築部を見た様子(左)と庭から東方面を見た様子(右)
□改修前のリビング(左)とご主人の寝室(右)
□改修前のキッチン(左)と増築部の和室(右)
グランドピアノやいくつかの家具を改修後の家にも持っていく計画です。
また、キッチンは数年前に新調したばかりなのでそのまま利用したいという要望がありました。
詳細調査
詳細調査は住宅医の既存ドックシステムにて、11名の調査員が集まり1日で行いました。
①採寸班 ②劣化・構造班 ③小屋裏・床下班 ④設備・温熱・省エネ班 ⑤矩計・家具班の5グループに分かれ、チームにて調査を進めていきます。
既存図面が残されていたこともあり、野帳の準備を入念に行うことによってスムーズに調査が進みました。報告書に必要な事項は確認漏れが無いように野帳にチェックリストを記載しています。
阪神大震災を経験しており、1968年築の部分は特に壁のひび割れが内外に多数ありました。また、敷地が高台に位置している事もあり台風で瓦屋根が飛んだ事もあったそうで、瓦の劣化が心配の種のひとつでした。
小屋裏・床下班は伏図の確認や、小屋裏・床下で見ることができる構造要素の確認、劣化の確認などを行います。今回、小屋裏では新築時に導入されていたという全館空調システムの残置設備が残されていたのを発見しました。
後で話を聞くと、築後30年近くは全館空調を使われていたそうで家中どこにいても快適だったそうですが、シーズン毎のメンテナンスに数万円の費用が必要だったり、光熱費も相当掛かっていて大変だったとのこと。ある時期からは壁掛エアコンや石油ファンヒーターに切り替えていったそうです。
設備・温熱・省エネ班は、現在使用されている設備・家電・照明などの確認、外皮計算に必要な断熱材や開口部などを確認します。また、排水マスを開けて状態をチェックしたり経路を確認しておくことが後の設計段階での参考情報になります。
矩計・家具班は、建物の高さ関係の確認や、持ち込み家具の採寸を中心に行いました。
改修前の診断結果
多くの項目が、40点~50点くらいになりました。省エネルギー性はヒアリングシートに記入頂いた実際の消費量に基づいて評価を行った結果、3人世帯の標準に比べて省エネな生活をされていたため、点数が良く評価されています。
改修計画の概要
配置計画としては、敷地を2分割して1968年築の2階建て部分を大きく減築しています。
玄関までのアプローチが階段のみだったため、長男夫婦の家との間の敷地の中央にはスロープを設けています。
平面計画は、ダイニングキッチンは元のまま動かさず、玄関ホールや次女の部屋となる2階を増築しています。加えて、元々は外部だったダイニング横のスペースを室内に取り込みました。図の色分けのように、今回の改修を含めた3年代の部分が残ります。
増築部の屋根はガルバリウム鋼板で葺き、改修部も耐震性や台風時の被害を考慮してガルバリウム鋼板に葺き替えました。改修部分の外壁は既存のモルタルの上に塗装のみとし、和室は内壁も仕上げのみやり換えています。
耐震改修計画は、構造用合板やハイベストウッドで補強を行い、耐震評点は1.0まで向上させました。既存基礎は十分な補強を行うことができなかったため、主には増築部の基礎を新設した部分の周囲に耐力壁を固め、既存部はバランス良く耐力壁を配置しています。
屋根は瓦からガルバリウム鋼板に葺き替えた点も耐震的に有利になっています。
断熱計画についてです。既存部分の外壁を触らない箇所は、外壁にひび割れなどの劣化がないことを確認した上で、パーフェクトバリアを充填しています。また、既存のアルミサッシが残る部分は、内窓を設置したり断熱障子を入れることで断熱性を強化しています。和室の外壁のみ元の断熱(グラスウールt50)のままですが、和室に接するDENの部分が室内空間になったことで特に隙間風を感じていた窓が無くなり、体感的には改修後はとても暖かく感じるようになったそうです。
当初は根太、野縁などの造作下地材は残して再利用する計画でしたが、解体してみると想定していた以上に水平の不陸があり、結果的には撤去してやり直すこととなりました。
また、工事区画を2つに分け、ピアノや家具、再利用するキッチンなどを動かしながら工事を進めました。
解体して撤去する予定だった1961年築当初の丸太梁は、一部を玄関ホールの化粧梁に再利用する事にしました。
改修前後の性能の比較
改修前は40~50点が多くありましたが、改修後は全ての項目が100点を越え、バランス良く改修ができたのではないかと思います。
・劣化対策:劣化箇所の修繕、防蟻措置や点検対策の強化
・耐震性:耐震評点により評価
・断熱性:UA値/ηAC値の向上
・省エネルギー性:設置した設備で一次エネWEBプログラムにて評価
(エアコン、エコジョーズ、第3種換気、LED照明)
・バリアフリー性:水廻りや階段の寸法の改善、アプローチのスロープ設置
・火災時の安全性:内装制限や火災警報器の設置などの対応
竣工写真
竣工写真撮影:畑拓
まとめ
この年代の建物にしては珍しく、既存図面、写真、確認済証などの資料が残されていた事は今回の改修計画の大きな参考になりました。こういった資料を見ながら、あるいは現場で当時の職人仕事に触れながら、家族が今までその家で過ごした時間を振り返りながら仕事を進める事ができるのが改修の面白さのひとつだと思います。同じだけ、私達が携わる改修も十年後二十年後の人のために、記録をきちんと残していく重要性を感じました。また、小屋裏に残されていた全館空調の機器を発見した時にも、長い目でみた設備計画の重要性を感じました。新築計画の場合は(長期優良住宅などで対策を考慮するとしても)比較的近い将来の事に視点が向きがちですが、改修は大なり小なり時間と向き合う中での発見や気付きが多くあります。
竣工後に訪問した際、確認申請書や引き渡し書類と一緒に保管されている『家づくり物語ファイル』を見せてもらいました。ご主人がまとめられた今回の計画の経緯などが細かく記録されています。
今回の計画では大きく減築して家の姿は新しく生まれ変わりましたが、その家の中に知恵を絞って残したモノや、造り手や住まい手の記録によって、愛着のある家の記憶は繋がっていくものと思います。
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