住宅医の改修事例 ~明治43年建設の抱石庵を改修して「 久松真一 記念館 」に ~2006年の改修の仕事 №0141

三澤 文子住宅医協会代表理事・住宅医 / Ms建築設計事務所 / 大阪府

哲学者・久松真一は明治22年岐阜市に生まれ、後に京都大学教授として禅哲学を展開した、西田幾多や鈴木大拙と並ぶ近代日本の代表的な思想家です。その生家である久松邸の改修を依頼されたのは私が岐阜県立森林文化アカデミー教員時代の2005年でした。
2002年ころから、改修設計の研究をはじめていたものの模索状態であった2005年に「建築病理学」を知り翌年には「木造建築病理学」講座をアカデミーでスタートさせる準備段階で幸運にもご依頼のあった仕事でした。
調査は以下の通り進みました。尚「抱石庵」の命名は、久松真一の師匠である西田幾多郎の命名だそうです。

©Ms ARCHITECTS

建物は南に主屋である抱石庵があり、渡り廊下でつながる離れがありました。抱石庵は久松真一が建設当時から設計にかかわったらしいということもあり、そのままで修復、耐震設計と、冬の極寒の寒さを何とかしたいというご希望がありました。また離れは、いずれ住まうことも出来るような住宅としての機能を持ちたいということでした。

これが改修前の平面図です。抱石庵は久松真一の意向が注がれた建物だけに感心する間取りでしたが、離れは玄関が何故か行きにくい北にあるため全く使われていなく、それぞれの部屋も活用されていませんでした。さらに「冬の寒さは耐え難いもの」ということで、耐震性と共に、温熱環境の向上が必要でした。


|改修後|

改修後の平面図です。抱石庵とはなれの渡り廊下の東にデッキスペースとその東に土間のサンルームを増築しサンルームは玄関としました。この東の玄関は、抱石庵と離れの南北ちょうど真ん中の位置で駐車場からもアクセスしやすい位置です。さらに離れは来客のもてなしもできる、板間中心の住まいになりました。

©Ms ARCHITECTS

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断熱改修するために既存建物の状況を調べました。この当時から10名程度のチームで「詳細調査」を行い。抱石庵、離れともども外皮の各部位についての仕様を確認しました。

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そもそも耐震性についての不安が、依頼者の第一の心配事だったので、基礎改修は万全を期して行いました。抱石庵は、柱脚を切断しRC基礎を新設する工法は2度目だったと思います。H型鋼を短く切り束石状にしています。それを抱きかかえるように配筋をして土間コンクリート共々打ち込んでいきます。

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一方。昭和50年建設の離れは、無筋の基礎であり、抱かせ基礎として基礎補強を行いベースコンクリートも設け、べた基礎としました。

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抱石庵、離れともども、断熱材を入れながら耐力壁としての壁を設けていきます。断熱材を入れることで内部結露など起こさないように、透湿抵抗の低い建材(シージングボート)を壁の外部側につかうなど、慎重に建材の種類や位置を決めていきました。

©Ms ARCHITECTS

断熱材は床、天井、壁に、リサイクルウールを入れています。性能の良いボード状の断熱材を入れたほうが良かったかもしれませんが、改修の場合、既存の軸組の「矩が出ていない」ことが多くきっちり隙間なくボード状のものを入れこむことが手間がかかると判断して、このような布団状の断熱材としました。

ここからは、ビフォアー・アフターをご覧ください。



 


 


 


 


 


 


 


 

 

©Ms ARCHITECTS

改修された後、2017年には有形文化財に登録されました。現在は「久松真一記念館」として公開されています。
この建物の詳細調査をしたのは18年前、いまでも改修前の年老いたような抱石庵の姿が思い出されます。そして「この建物を次の世代に繋ぎたい。」といわれた現在館長の久松定昭さんの言葉を頼もしく聞いたことも。
久松真一を知る 国文学者の友人とコロナ禍の時期、訪問を計画したものの、状況が悪く中止になり残念な思いでいましたので、年が明けたら、リベンジで訪問してみたいと思います。
建物の見学が目的の訪問でも大丈夫だと思いますので、皆様も是非、訪ねてみて、館長から久松真一のことを教えて頂くのはいかがでしょうか。

 

三澤 文子
©Fumiko Misawa , jutakui
No.0141 明治43年建設の抱石庵を改修して「久松真一記念館」に ~2006年の改修の仕事


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