№0093〜神奈川県「 旧・正力松太郎 邸 」~住み継ぐ意志~

報告者:和温スタジオ 小柳理恵/住宅医

改修概要
設計:和温スタジオ 小柳理恵、施工:鯰組
設計施工:HandiHouse project 加藤渓一(北エリア:LDK ・子供室・脱衣室・UB・土間)
構造設計:桜設計集団 佐藤孝浩・磯野由佳
原設計(昭和36 年大規模増改築時):清水一(大成建設)、施工:水澤工務店
所在地:神奈川県逗子市
主用途:一戸建ての住宅
築年数:改修時 昭和14 年~築76 年/新築:昭和初期(現存部僅か)→昭和14 年増築→昭和36 年大規模増改築
規模:木造平屋建、一部2 階建/蔵:RC 造2 階建
工法:在来軸組工法 ※一部壁:竹小舞土壁(真壁)、木摺モルタル塗(大壁)
延床面積:254.48 ㎡(蔵除く)

改修前-南面全景

建築地の気候風土
神奈川県逗子市は三浦半島の付け根に位置し、北・東・南の三方を緑豊かな丘陵に囲まれ、西は海に向かって開けた土地柄。暖流黒潮の影響を受け内陸部に比べて温暖で、冬季は北側の丘陵により季節風が遮られて弱まり晴天の暖かい日が多い。夏季は高温湿潤な気候だが、日中は海風が発生して気温の上昇が抑えられ内陸部よりも暑さがしのぎやすい気候である。建築地は逗子市の西側、海まで400m位の平地に位置し、年間を通して北北西~南南西の風が多く吹く傾向がある。

改修の経緯
旧・正力松太郎邸は、読売グループ創始者・正力松太郎が暮らした邸宅である。主亡き後は長らく空家となっていたが、その間も大切に管理されながら守られてきた建物だった。相続の関係で解体の話が上った時に、壊すのは忍びないと住み継ぐことに名乗りを上げたのが正力の曾孫にあたる住まい手だ。表面的には手入れされていたが耐震性や機能面に不安があり、知人の紹介で知ったという住宅医調査を御依頼いただいたことが事の発端だった。しかしこの時点ではまだ具体的な改修相談は受けていない。まずは親族と関係のある大手施工会社が耐震補強を含めた改修案を作成した。住まい手が残したかった既存建物の風合が一切削ぎ落とされた計画だったという。専門家に任せるだけでは望む家にならないと考えた住まい手は、自らも改修計画に深く関わり、横並びの信頼関係が築けるメンバーでの改修方法を模索した。望みは、既存建物の姿形を残すこと・小学生の子供達と共に家族で工事に参加すること。まずはメンバーが集められた。家族参加工事の担当として、以前より親交があり“施主が参加するワークショップ形式の家づくり”を行うHandiHouse project 加藤渓一氏 が決まった。次に詳細調査で信頼を得た筆者に声がかかり、そこで初めて改修設計の依頼を受けることになった。既存建物の姿形を残しての劣化改修と耐震補強設計の担当となったが、手練れの施工者と構造設計者が必要となる。住まい手との相談により、施工者に数寄屋を得意とする鯰組、構造設計者に住宅医スクール講師である佐藤孝浩氏が決まった。プロジェクトチームの結成により具体的な改修計画が動き出していった。

既存建物
建物は真南向きに配置され、広大な日本庭園を臨む形で南面に来客空間(応接室・居間など)が展開する木造瓦葺きの数寄屋邸宅。大部分は平屋だが一部が2階建で三方ガラス窓の見晴らしよい展望室が設けられていた。建物北側には廻廊型の廊下で区切られる形で生活空間(水廻り、食堂、女中室など)が設けられ、南北エリアの中央に位置する玄関は主に来客用の「取次」として機能し、来客動線と生活動線とが交わらない間取り構成となっていた。また室間をつなぐ廊下は渡り廊下の役割も担い、増改築の変遷で生じた高低差を埋めるための斜路となっていたり、異構造であるRC 造の蔵にも接続されていた。

改修前-部分平面図(S35 水澤工務店資料)
改修前-居間(撮影:川辺明伸)

 

改修前-展望室(撮影:川辺明伸)

 

改修前-玄関取次(撮影:川辺明伸)

 

改修前-台所(撮影:川辺明伸)

既存建物調査
1)劣化対策

劣化調査シート

室内外の劣化では左官壁のひび割れや雨染みが多く見られた。床下や小屋裏の構造体にも雨染みや腐朽蟻害が見られたが、床下は特に劣化がひどく、根太が折損して床に穴が開いている箇所もあった。

2)耐震性能

耐震調査シート

基礎は布基礎で有筋・無筋・自然石が混在、土間は土露出部と土間コン部があった。軸組は梁に羽子板など金物が見られたが柱脚柱頭金物はなかった。水平構面は火打ちがあり、主な壁要素は外壁面と室内大壁面に木ずりモルタル、室内真壁部には竹木舞土壁が確認できた。耐震診断は「倒壊する可能性が高い」となった。

3)断熱性能

断熱調査シート

床・壁・天井とも断熱材はなく開口部は木製建具+単板ガラスだった。障子と木製雨戸のある室が多かった。

4)バリアフリー性能

バリアフリー調査シート

各居室は広くゆとりがあったが、水廻りや敷居等の段差は多く、開口幅が狭い場所もあった。

5)火災時の安全性

火災時安全性調査シート

コンロ周りは一部仕上が可燃材で火災報知器は調査時はなかった(改修工事時に小屋裏に警報器を確認)が、消火器は設置されていた。屋外の延焼防止性能は建築地が属する法22 条地域内の規定を満たしていた。

改修計画概要
1)住まい手の要望
・建物の姿形をできるだけ変えずに耐震性を確保し、必要な劣化改修を行いたい。
・既存の風情や素材感を維持し、間取り(特に南側の来客エリア)や屋外木製建具は既存のままとしたい。
・廊下で分断された北エリアは南エリアと繋がりをもたせて、家族(夫婦+小学生2人)の生活空間として改変し、家族皆と加藤氏とで設計施工を行いたい。
・隣接する親族の家は取り壊しが決まっているが、思い出のある家なので、建具や建材を残して活用したい。
・夏は風通しよく過ごしやすいが冬はとても寒いので、暖房として薪ストーブを検討したい。
・照明器具が点滅するなど不安定なので、電気系統は全面的に改修を行いたい。

改修前-屋外意匠(撮影:川辺明伸)
改修前-屋内意匠(撮影:川辺明伸)

 

改修後-北エリア部分平面図(設計:HandiHouse project 加藤渓一)

2)改修方針
・屋外は外壁を全面塗り替えし他は劣化部のみ改修復元、開口部は既存のまま残す計画とした。屋内の天井と
床は大半を解体し既存材にて復元、南エリア壁は耐力壁部のみ解体し意匠復元、北エリアは全面解体し新設とした。
・設備配線配管は全て撤去新設とし、照明器具は既存意匠のまま中身を交換とした。
・蔵の切り離し:RC造の蔵と木造廊下の接続部は納まり上で難があり雨漏り被害が甚大だった。構造的にも分離する必要があった為、建物の外形は変わるが、廊下を減築し切り離す計画とした。

改修前-蔵接続部

 

改修内容
1)劣化対策
床下は土露出部を土間コンにて防湿、土台・大引・根太は全て交換した。屋根は雨漏りの主原因だった銅製谷樋を全て交換、部分的に傷みのあった瓦屋根は使える瓦を活かしながら補修や部材交換を行った。屋外露出の腐朽木部は全て交換、ひびの入った外壁は全面塗り替えた。浴室は在来浴室からユニットバスに改変された。

土台交換

2)耐震性能
壁は構造用合板による面材補強、水平構面は鋼板を用いた梁補強と共にステンレスブレースで補強を行った。基礎は耐力壁に合わせて新設または抱かせ基礎補強を行った。軸組の主要接合部には金物を設置した。最終評点は1.5 を少し割る形となったが、住んだ後の感想として通常程度の地震では揺れを感じないとのことだった。

耐力壁補強

 

水平構面補強

 

基礎補強

3)断熱性能
熱損失部位は外壁・開口部・換気(隙間大)で9 割を占めていた。南エリアは真壁和室を中心とした既存意匠を残す為、天井・床以外は断熱材を入れることができなかった。北エリアは天井・外壁・床についてH11 基準を満たす断熱施工としたが、家全体の屋外建具は浴室等のごく一部を除き既存木製建具+単板ガラスのままとの要望があり、効果的な断熱改修はできなかった。快適性を補うものとしてLDKや寝室にエアコンを設置し、冬対策としてLDKに床暖房を敷設、南エリアに高火力の薪ストーブを設置した。

南エリア-天井裏断熱

 

北エリア-断熱/床暖房


4)バリアフリー性能
浴室はユニットバスとなったことで段差などが解消されたが、他は既存のままとなった。


5)火災時の安全性
必要箇所に火災報知器を設置した。

性能診断結果概要

改修後写真(撮影:川辺明伸)

改修後-南面夕景

 

改修後-応接室

 

改修後-和室

 

改修後-玄関

 

改修後-居間

 

改修後-南北エリア境

 

改修後-北エリアLDK

 

改修後-展望室

 

切り離した蔵接続部

総括
歴史ある建物を取り壊さずに遺すという貴重な経験ができたが、本件の過程で何より強く印象に残ったのは、住まい手の意志の強さ、家づくりと向き合う姿勢であった。子供達は自分の部屋をどうするか模型を作って検討し、工事では家族皆で断熱材充填や無垢材の床を張り、広域に渡る内装施工を養生や下地処理から行なうなど、その働きぶりには目を見張るものがあった。木造住宅は適切な維持管理を継続して行うことで存続していけるものだが、本格的な施工経験をした住まい手が愛着を持って家のメンテナンスを行えることは、末永く家の寿命に貢献するであろう。竣工後の台風で敷地周囲に長く連なる建仁寺垣が飛ばされた時、すみやかに、そして楽しそうに自力再建した住まい手を見て、家と住まい手との関係性は本来このようなものでなかったかと改めて気づかされる思いがした。家が存続する為の鍵をにぎるのは設計者や施工者など建築の専門家ではない、あくまでも住まい手だということ。建築士であり改修について豊富な知見を持つ住宅医は、調査やヒアリングを通じ、その家について誰より詳しくなることで、具体的な維持管理方法や家との良好な関わり方まで住まい手に提案できる貴重な存在でもある。住まい手にとっての家が、どう手をかけたらよいかも分からない未知の物体ではなく、愛着を持ってメンテナンスしたいものとなるように、住宅医がサポートしていけたらと思う。