美しい景観づくりと住宅医| リレーコラム2023年8月

松井 郁夫 ( 住宅医協会理事 / 松井郁夫建築設計事務所 / 東京都 )

「木造住宅は軸組だ!」と言い放ったのは 故・田中文男棟梁です。
故郷大野の城下町の景観を守るために「町並み保存運動」(今年で活動50年)から「まちづくり」に進み現代計画研究所に入社して都市計画を学んでいた頃に所長の藤本昌也先生を訪ねてこられ、新米の私がお茶を出しに行った時に言い放った言葉なのでよく覚えています。

棟梁は千葉県の出身で、戦後すぐの18歳で大工になり 文化財建造物の修理や社寺、木造住宅の建設に従事した「現代棟梁」と呼ばれた名棟梁でした。
「ばかやろう」が口癖私にとってはとても怖い人でしたが、三澤さんは「文子ちゃん」と呼ばれて可愛がられていました。(笑)

「日本建築セミナー」という伝統構法の勉強会の講師でもあり 改修された古民家の見学会では建物の建築技術の話ばかりか建設当時の歴史も俯瞰して話されるのに驚いたことがあります。その町の町史を全て読んでから一軒の古民家の改修工事に取り掛かるという棟梁ですから歴史の研究者も舌を巻く勉強家でした。「学者大工」と呼ばれた由縁です。よく東大の太田博太郎先生の研究室に出入りしていたそうです。

そんな棟梁も文化財級の古民家の改修では想像力を働かせて「新しい息吹」を吹き込んでいたと言います。千葉県野田の 国の重要文化財「旧花野井家住宅」は 簡素な茅葺きの直屋(すごや)ですが、流山市前ケ原からの移築です。移設の際には17世紀の姿に復元するために長い間に増築された部分をかなり整理したと聞いています。そこは田中文男のセンスだったのでしょう。

本来大工の世界では新しい建物を建てる時には、むかしからの「口伝」が規範となっていたといいます。例えば「下屋勾配は一寸返し」というのは上屋と下屋の勾配を同じにするとお尻が下がったようで美しくないので下屋は少し跳ね上がったほうが格好がいいということです。
また「相場は崩すな」というのは周囲の「相隣関係」から「隣と違ったものは建てるな」ということです。相場を外すと町並みの秩序が乱れるからです。
これらは大工たちの建物の美しさや町並みの調和のための「暗黙知」として「言わずもがな」のルールでしたが、口伝であったために記録が残っていません。ただし江戸時代の「町触れ」というお上が定めた庶民の生活の決まり事の御札には残っているようです。
下記「書き付け」は南町奉行所同心の「町触れ」と思われる文章です。建物の高さと華美な仕上げを制限しております。

大日本近世資料 市中取締類集 1
天保十三寅年正月(1842年)
市中風俗取り締まりの儀につき、廻し方銘々存じ寄りの趣き申し上げ書

市中風俗取り締まりの儀につき、申し上げ候書き付け
市中風俗ならびに取り締まり等につき、心つけ候儀申し上ぐべき旨、恐れながら愚存の趣き左に申し上げ候

■■■南町奉行所同心
■■■■■小倉朝五郎

(三十条略)町人ども家作の儀につき、度々前々より仰せ渡され御座候えども、追々相崩れ候やにつき、
改め仰せ渡され御座候かた然るべきやに存じ奉り候

(十三条略)右荒かた愚存ならびに承り及び候趣き申し上げ候、已上(以上)
■■■■■小倉 朝五郎

一、 町人ども家作の儀、棟高さ上台下より棟瓦上まで二丈三四尺を限り、梁間三間を限り、家根は成るべくだけ瓦葺に致し申すべし、景容花美奢之なきよう相建て、造作の儀を長押、釘隠し等に紛らわし品一切相ならず、杉戸金銀ならびに彩色の絵張り付け、襖屏風類、塗り縁の障子用い申しまじく、専ら質素に致すべき趣き前々より度々仰せ渡され御座候えども、猶またこの度改め仰せ渡され御座候はば、行き届き申すべく候や

 

現在の「まちづくり」にはそのようなルールはあるでしょうか?
美しい町並みをつくるには、目指すべき方針を描いた「理念法」が理想的ですが、残念ながら現状の日本の「建築基準法」には「美の基準」はありません。「規制」と「制限」の書かれた「べからず集」です。さらに規制は 10進法で地球の円周から割りだした 5m、10m と区切りますから大工の使う人体寸法からつくられた尺寸である 3進法の間尺には合いません。ヒューマンスケールから逸脱しているのです。

お隣の韓国では日本の「建築基準法」は真似しないようにして、「韓国建築基本法」(2007年制定 2008年施行) を制定して「質の高いまちづくり、建築づくり」を実践していると聞いています。日本でも神田順先生が「基本法」の制定に長年議員会館で勉強会を開いて努力されていますが永田町の議員たちは他のことで忙しいようです。

わたしたちが実践している「住宅病理学」の目的も建物の構造や欠陥の改善にとどまらず、さらに高い理念を掲げて、美しい町並みをつくるために役立てることが出来たら素晴らしいと思います。
それには古民家の実測して「目を鍛え手を練る」ことと「美術の演習」でプロポーションの美しさを習得する必要があります。美術も技術ですから訓練で上達します。
中国では理想の姿を目指すことを丸い円を指差す「指円」と言うそうです。改修や再生に取り組むことによって理想の丸い円を目指したいですね。

松井郁夫

©Ikuo Matsui , jutakui


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