「古民家再生」実験に学ぶ | リレーコラム2022年7月

松井 郁夫 ( 住宅医協会理事・住宅医 松井郁夫建築設計事務所 / 東京都 )


足元フリーの実験場

量から質の時代へ

日本の木造住宅の不幸は、1945年の敗戦の焼け跡時代から復興を遂げるために建てられた多くの「在来工法」による木造軸組の家が、戦後からこれまでの長い間、量の供給を優先するあまり質の向上が遅れたことにある。
都市部を中心に1970年代までに建設された庶民の家は、お世辞にも立派な造りとはいえなかった。戦後のモノのない時代の4寸の柱材を削った3寸5分の細い柱に同寸の胴差しが羽子板ボルトで結ばれただけの骨組みにモルタル塗りの外壁の家で、雨風が凌げれば良い程度のバラックのような造りの復興時の住宅が、ところ狭しと並んだ風景が戦後の都市の姿であった。
しかしいわゆる復興住宅も高度成長期を経て、徐々に庶民生活が豊かになるに従い、質の向上を図らねばならなかったのだが、家の質を左右する仕組みは「住宅金融公庫」の簡単な「仕様書」しかなく、質の時代への移行は進まなかった。
日本の家が質の時代に入るのは1986年からのバブル景気到来まで、約45年近くかかったと言える。長きにわたって量の時代を超えられなかったのは住宅産業の隆盛を戦後経済の中心と据えた国の政策にも問題があった。
さらに、急激な住宅の供給は、当然建物に欠陥や不具合が生じることになる。

木造住宅の資産的価値

ヨーロッパやアメリカでは、古くから歴史的建築物の修理が盛んに行われ、「建築病理学」としてその経験やノウハウが蓄えられてきた。建築の資産価値が時間の経過とともに下がることのない価値観を持ち、古い建築を大事に大切にしてきた歴史を持っている。一方、日本では建設後22年で資産価値がなくなる「税法」ために建物を修理しながら使うことよりも建て直すことによって、経済成長を促すとされてきた。そのために欠陥や不具合の技術的考察が遅れていたと言える。
それには日本独特の気候風土の事情もある。日本は海に囲まれたアジアモンスーン地帯の台風常襲国であり、地殻プレートの変動による地震大国である。
ヨーロッパ大陸のように安定した岩盤の上に成り立つ国と違い、建物の寿命は長くは持たない運命にあった。
しかしながら、日本の戦後の木造住宅も45年の月日を重ねた1990年代以降は、戦後の復興住宅に比べると確実に寿命を伸ばすことのできる新築住宅に取って代わられようとしていた。その頃から、これまで建てられた木造住宅の欠陥や不具合を直し寿命を伸ばそうとする活動が必要となってきた。さらに2010年をピークに人口減少による「空き家」問題が既存住宅の利活用に拍車をかけることとなった。住宅医の「既存ドック」システムは、まさにこのような現代的課題に対する問題解決型のプログラムと言える。

古民家の再生・利活用

一方、全国各地に残る伝統的な「歴史的建造物」は、1975年(昭和50年)の文化財保護法の改正によって「伝統的建物群保存地区制度」の発足し、文化庁によって数多くの重要伝統的建物が保存されることとなった。令和3年8月2日現在、104市町村126地区で約3万建の建物が指定され保存・保護されている。それらの指定に至らなかった建物は、1996年(平成8年)の同法改正によって「登録有形文化財」として毎年追加登録され保護に至っている。
さらに平成25年には、日本全国の「空き家古民家」と呼ばれる建物が、21万軒存在しているといわれて、その場合の修繕、リフォーム市場は約1.8兆円と推計されている。(総務省:同年住宅・土地統計調査による)
ただしこの場合の「古民家」とは、1950年(昭和25年)以前の建物とされており、国土交通省が2011年(平成23年)「伝統構法の設計法作成および性能実験検証委員会」での定義とは異なっている。
同検討委員会の構法歴史部会では伝統構法の定義を「1891年(明治24年)の濃尾地震以前に建てられた、日本古来の構法を伝える庶民の住まいであり通し柱と貫や足固めを多用し胴差しや筋違はなく、接合部に無垢の継手・仕口を使い金物に頼らず、地震や台風に耐える伝統的な木組の家」としている。これはそのまま「古民家の定義」ともいえる。
いずれにしても現在、日本の古民家は、再生・利活用の必要性に迫られており、一大ブームの様相を呈している。いまや日本建築や伝統構法をよく知らない設計者にも「古民家改修」の依頼が来るようになって、「古民家の定義」とは異なる戦後の民家までも「古民家」と呼んでいる有様である。そんな設計者が改修して本来の古民家の寿命を縮めては困るので、この「住宅医」の講座では「古民家再生」を歴史から語るようにしている。

古民家の実測

「住宅医」講座では実現できていないが、古民家の仕組みを知るには実物の古民家の「実測調査」を実施することが近道である。筆者の主催する「木組のデザインゼミナール」(ワークショップ「き」組主催 https://kigumi.jp/seminars )では、毎年古民家が展示されている「川崎民家園」や「江戸東京たてもの園」に出掛けて、「実測実習」を実施している。
古民家の実測はそれ自体が、歴史的にも構法的にも「新たな発見の場」であり、古民家の再生・改修設計を学ぶ者にとっては、現物を前に寸法を採りながらじっくりと観察ができる最も贅沢な時間と言える。
実習で最も留意しなければいけないのが、本来の日本建築の部位や部材の再発見である。現在、私達が実践している木造軸組工法は、戦後の住宅の復興のために「伝統構法」を簡便化した「在来工法」であり、「真の日本の住まい」ではない。
日本の住まいは、明治24年の濃尾地震以降、現地調査に行ったお雇い外国人建築家によって「筋違」や「胴差し」など西洋の建築様式が混入し、日本建築は分断させられた。さらに第二次大戦の敗戦によってアメリカの建築様式が一般的になった「和洋折衷」様式の導入により、これまで日本にあった工法としての「在来工法」と名付けられた。
実測が真の日本の住まいの「学びの場」であることは「石場建て」の床下に秘密がある。古民家の床下をよく観察すれば、その理由がわかる。
そもそも、日本では自然の災害から建物の損傷を免れるために、地震や台風の力をいなす「減衰設計」が原則であった。自然の猛威に力で抵抗する「応力設計」は西欧的な考え方である。

「限界耐力計算」誕生秘話

2000年にようやく建築基準法に告示化された「限界耐力計算」は「超高層ビル」の減衰計算を、JSCA関西の樫原健一氏によって古民家の耐震に応用したものであるが、最も古民家の計算に適していると言える。
樫原健一氏は、元鴻池組の構造設計者である。1995年の「阪神淡路大震災」の折に、関西の立派な古民家が傾いただけで「赤紙」が貼られて、次々と壊されていくのを見かねて、国土交通省を動かし「限界耐力設計法」の告示化を勝ち取った人物である。
筆者も「阪神淡路大震災」を契機に、当時の仲間とともに「木造住宅【私家版】仕様書」を執筆して耐震設計に目覚めたので、共通の想いで大阪の事務所に訪ねて行ったことがある。それ以来のお付き合いであるが、樫原氏は東京嫌いでなかなか上京してくれない。どうやら国土交通省の会議で永田町は懲りたようだ。

「伝統構法の設計法作成および性能検証実験」秘話

2007年から2011年までの5年間に「伝統構法の性能検証実験」が東京大学と立命館大学の合同もと実務者も参加して行われたことをご存知だろうか。
「阪神淡路大震災」から13年経ってようやく「実大実験」が当時の福田康夫自民党政調会長により国の「社会資本整備事業」の一環として予算化されて、わたしたち実務者も実験に参加できた。そのときは実験に対する期待に、胸が高鳴ったことを覚えている。
実大実験の「試験体」は伝統構法の木組・土壁で造ることになり、わたしに設計の依頼が来て、大橋好夫先生にスケッチを渡し、播磨社寺が施工した。
実験棟は関西間と関東間の2棟、関西間の試験棟はサイズも大きく部材も大きい。実験で壊れ無いようにと丈夫に造ったという。関東間の試験体は、実験で壊れる場所がどこなのか知りたくて、やや細めの部材で造った。
実験は兵庫県の三木にある「防災センター」で見学者を入れての公開実験であった。最初に関東間の建物を揺らす。縦に10センチ横に20センチのJMA神戸の波動を入れると、メキメキと音を立てて柱が8本折れた。全て胴差し部分で折れたが、大きく傾いて倒壊することなく途中で止まった。
最初の衝撃で土壁が落ちたあとに貫が二番目のセーフティとして効いたのである。貫は、明治になって二階建ての建物を造るために、壁の中で間柱や筋違のじゃまになり壁の中から後退した部材であるが「やめてはいけなかった」構造材であったと言える。
次に関西間の大きく太い試験体を揺らす。こちらは意に反して13本の柱が折れた。しかも倒壊してしまった。関係者は皆、意外な結果に驚いた。この実験では、細い部材の関東間が倒壊すると思っていたからである。やはり実大の建物を揺らした実験はよく分かる。固く強く造れば丈夫ということではなく強い力が試験体に入ってしまうのである。さらに試験体固定のために、柱の下に入れていたダボが、横力を受けてしまったのである。

実験から見える「古民家の真実」

この実験の2年後、足元フリーの試験体を揺らした実験がさらに意外な結果であった。試験体の設計は滋賀の設計者が担当して行われた。試験体の足元は固定しないでフリーにするために全て平らな石の上に置いた。
床下には大引に束を3尺置きに入れて全て石の上に置いてあったが、全ての柱が床下の石場に伸びていない。これは「伝統構法」の古民家の床下ではなく「在来工法」である現代の床下の造り方である。しかも建物の隅柱の足固めの挿入位置が石場に近い。これでは柱が折れると思い、設計者に「この造り方は伝統とは違うのではないか」と意見を述べたが、聞き入れてもらえず実験が行われた。
案の定、ムカデの足のようにずらりと並んだ3尺置きの束は、建物本体の動きに追従しないために滑らない。結局「足固め」の位置が低く曲げモーメントが発生して柱を折ってしまい、隅柱を挫いてしまった。
先程、古民家の床下には「新しい発見」があると述べたのはこのことである。古民家の石場建ては、床下に伸びた柱の下のみ石の上に載っていて、大引は存在しない。ましてや3尺置きの束などなくて、大きな「足固め」が柱と柱を結んで足元が開かないように固めているのだ。
以上のことから、「貫」や「足固め」が古民家の造り方を知る上で、地震に対して重要であったかがわかったと思う。明治で失われた150年前の日本家屋の真実を「古民家」は教えてくれる。(終)

 



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