№0043〜 浦安の住宅

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■所在地:千葉県浦安市
■期間:第一期 2007年10月末設計スタート 工事2008年5月~9月
第二期 2011年 7月~23日間
第三期 2014年12月~実質10日間
■用途:専用住宅
■家族構成:第一期 夫婦+息子×2(内1は時々宿泊)+娘+犬×2
第二期 夫婦+息子×2(内1は結婚独立)+娘+犬×2
第三期 夫婦+娘+犬×2+仏様×2 息子達は独立
■築年数:36年(1981年築)在来工法木造二階建
■規模:建築面積69.40→80.15㎡   延床面積 111.54㎡→138.95㎡
■施工:かしの木建設株式会社

改修前外観1横 改修前外観2縦
改修前外観

k003s-2 k004s-2 k005s-2
改修後外観

この住宅の凄さは3.11を「千葉 浦安」で超えたことである。第一期工事は2007年に確認申請を伴う規模の(過半の構造変更)の改修(増築+減築)をした。
そして2011年3月に震災が起こった。液状化して近隣は軒並み建替える事になった。道路は波打ちグニャグニャ、ライフラインは途切れ街が大きく変わった。
それでも尚且つ、此の地に住み続けることを選択して、二期工事として震災後沈下修復した。
住み手は地域の防災リーダーとして街の結束に尽力しており、少しづつ近隣に元気が出てきた。
そして昨年末再度三期工事で「祈りの場」を創る小さな改修をした。

第一期:建売住宅を購入して
はじまりは2007年の10月。建売住宅を買おうと思うので「まずは見てほしい」と連絡があった。1981年竣工の住宅を柱だけのスケルトンにして「自分達らしく」してほしい、とのこと。
改修工事をするタイミングとしては一番家族数が多く、数年後には独立していく子供達も個室が必要な年齢であるので、最適とは言えない時である。しかしだからこそ、その時間を大事にしたいという家族のために「帰ってくる場所」としての「家族の巣」を創ることにした。(http://homepage3.nifty.com/nt-lab/work/w30/index.html)

家族構成や住み方、家族のそれぞれの方向性を鑑みた改修は、どうしても構造を大幅に変更する必要が出る。山辺構造設計の山辺先生と鈴木竜子氏を巻き込んで、まずは仮定断面で構造の想定をして見積もり等実務的な作業を進めた上で、解体したあと現場検討にご足労願いながら実際に現場指導してもらい補強要綱と要領を教示いただき改修を進めていった。
平面図 前後   改修前後2
一階 配置平面図(上が改修前・下が改修後)           二階平面図(左記に同じく)
工事中1横  工事中2横
現場では換気扇の穴が筋交いに開いていたり、基礎人通口上部で土台の継ぎ手があったりして、いかに検査済み証や図面があったとしても、現場調査をしないとならないのかという必然がよくわかった。
補強要綱としては、金物の増設、枕梁+合わせ梁などでの補強、基礎部に新設鉄筋溶接の上立ち上がりを設けたり、通気口部に束を立てて柱の力を補強する措置など既存部をまず整えてから、新しく構造用合板や金物にて耐力を増強している。腐朽している材は撤去して新しく取り替えたものや部分的に金輪継ぎで対処した部位がある。いずれにせよ、このような大掛かりな改修工事の現場は、現場により対処方法が異なるので「住宅医=統括設計者」が存在してチームワークで施術する必要がある。此の時点では住宅医として認定された立場ではなかったが、結果として調査したうえで原因を掌握して対処する方法をとっている。
筋交いの欠損たて   継手の位置よこ
筋交いの欠損                継ぎ手位置
合わせ梁による補強よこ   金輪継ぎたて
枕梁や合わせ梁による補強                  金輪継ぎ
減築して増築するというやりかたで建蔽率や容積率をクリアーして役所検査も受けた。
これが出来たのは1981年の建物で図面や検査済みがあったからこそで、これより古い住宅の場合根拠となる図面や検査済みが無いため、確認申請が非常にやっかいになる。
基礎横  基礎たて
減築をして増築をした基礎の配筋 及びアンカーボルト
改修前室内1横
改修前の居間の様子
そもそもの住宅はいわゆる4LDKというような住宅で、住めるがブツブツに分断された部屋が並んでおり、景色や関係性も魅力が無かった。
改修後室内1横  改修後室内2横
改修した後は家族の関係性を繋ぐべく、庭や台所などと連鎖させていった。
(http://homepage3.nifty.com/nt-lab/work/w30/index.html)詳細はHPを参照下さい。
改修後室内3横  改修後室内4横
改修後のみんなが集う場は外とつながり、内側の関係も連鎖させた。
第二期:震災を超えて
そして2011年3月11日。此の街は液状化して大きなダメージを受けた。道路が波打ち電柱が倒れ、周囲の住宅が倒壊し使い物にならなくなった中、此の住宅は生き残った。ナカナカ住み手と連絡が取れず心配した。状況を把握する段階が来たチャンスで測量した結果、端から端までの最長で、建物が固まったまま一番大きなレベルで8センチの沈下がみられた。住み手が此の地を求めた時点で、覚悟を持って入っていた保険と市の助成金を合わせて沈下修復工事をすることとなった。耐圧版工法という基礎下にトンネルを掘って、ジャッキアップするというもので20日あまりで作業完了した。構造の山辺事務所鈴木氏にも同行してもらい、内容と状況を確認してもらった。構造を固めていたおかげで亀裂やダメージがなく、ジャッキアップ後には元通りに修復されて建具や設備等も不具合が無い。此の地では地盤改良の保障もなく、住み手が保険加入することで有事に供えるという手段をとっている。住宅医として気をつけるポイントは、その事実を知った上で説明ができるかどうかだと考える。
基礎下にトンネルたて   スラブ下端たて
穴を掘って基礎下にトンネルとつくる         通常決して見ることがないスラブの下端
測量抜粋 よこ
測量や施工仕様書 抜粋
第三期:家族構成がどんどん変わって
2014年に母上を亡くしたきっかけで、この年末年始に小さな改修をした。仏壇を引き取るというお役目になったことと、そもそも夫婦+3人の少年少女+犬という家族が順々に独立して、違うステージが此の住宅ではじまっていたからだった。
改修は二階の小さな部分で、ここに仏壇を置く祈りの場と防災倉庫をつくることになった。
スケッチ横
赤い丸表示部を下記のように改修することにした。
スケッチ横2

改修後室内5縦  改修後室内6縦
奥様の寝室であった場所(画像左)を 仏壇を置いて祈る場(画像右)に
大切に思っていた両親を仏壇という形で引き取ることになり、毎日の生活の場に存在させることとなった。二階のそれぞれの寝室から、一階のみんなの場所に向かう際の通路に祈る場をつくって、日常にあるものにした。一部座ったり本を読んだり、昼寝をしたりできるようなベンチ型の畳の場にして立ち止まる場にした。その下も入れ物になっている。
この仏壇を置くという改修のきっかけで、震災時に痛感した防災品を備蓄する場を設けることも行っている。此の地では一週間ライフラインが途切れた経験から、水やコンロなどをきちんと備えて地域の防災リーダーとしてのお手本をつくった。
改修後室内7おまけ1   改修後室内おまけ2
オマケ1 梁に懸垂棒設置     オマケ2 犬が出られないように格子戸