各地の住宅医の日々№48 広島の住宅に宿る知恵と歴史 ~ 地域に根差した建築文化の再発見 ~
岡田 栄治 ( 住宅医 / 株式会社 岡田工務店 / 広島県 )
広島市内は、戦時中の原爆投下により、数多くの家屋が消失し、多くの命が奪われました。そんな状況下で、生き残った地元の大工たちは、まず、焼け落ちた寺社の修復に尽力しました。焼け残った資材をかき集め、寺を蘇らせたその姿は、失われた文化と暮らしを守ろうとする人々の思いの象徴でした。旧住職から伺ったこの話は、戦後の広島を生き抜いた人々の力強さを感じさせます。
かつて広島市は城下町として栄え、地域特有の風土を生かした家々が建ち並んでいました。しかし、戦争とともに多くが失われ、戦前戦後の建物も時の流れとともに姿を消しつつあります。それでも、かつての建築には、この土地の自然環境や災害に適応した知恵が数多く宿っています。
「雨風しのいで家強し」100年続く家づくりの言葉
「雨風しのいで家強し」。これは、大正13年創業の私たちの家づくりにおいて、先々代から受け継がれてきた言葉です。広島は川に囲まれたデルタ地帯にあり、湿度が高く、土砂災害や洪水といった自然災害が多い地域です。この言葉は、広島城を築いた福島正則が整備した土手文化や、当時の雨漏りに悩んだ背景から生まれたのかもしれません。
戦前の広島の建物を見て回ると、地域ごとにさまざまな特色が見られます。例えば、山陰地方から広まった石州瓦は耐久性に優れていましたが、広島では主に瀬戸内海を通じて運べる菊間瓦が用いられていました。また、海風の影響を受けるため、松の板壁を用いる家も多かったようです。地元の山には松が多く、幼い頃の加工場には松や檜が多く見られたと記憶しています。その香りは、木材に染みついた松ヤニの匂いとともに、今でも祖父を思い出させます。
また、広島の旧市内は砂質地盤や田畑に建設されたため、洪水対策として石垣を築き、地盤を高くして床を高めに設計した家が一般的でした。風通しが悪い土地ではドクダミ草が多く育つなど、植物を見ればその土地の特徴がわかると、先々代はよく話していました。
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失われた知恵を未来に活かす
広島は自然災害が多い地域でありながら、戦争の被害によって旧家やそれに宿る知恵の多くを失いました。近年、規格住宅が主流となり、地域の風土に基づいた家づくりが難しくなっています。しかし、過去の建築様式や地域の特性を学び、それを現代に適応させることは非常に重要です。
私たちは、広島を含めた各地の旧建築様式を研究し、広島の自然環境や災害に適応した住宅改修の在り方を模索しています。過去の知恵を未来に活かし、地域に根差した家づくりを提案していくことで、この地に暮らす人々が安心して暮らせる住環境を目指していきます。
広島の家々に宿る知恵を再発見し、次世代に繋ぐこと。それが、私たちの使命であり、誇りでもあります。
写真・文章:岡田 栄治
©Okada Eiji , jutakui
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