各地の住宅医の日々 No47『形がなくなれば記憶もなくなる』

梅村 裕子 ( 住宅医 / 梅村工務店 / 愛知県 )

先日、私が加盟している団体 Forward to 1985 energy life の全国省エネミーティング in ひろしま で広島市に行ってきました。

一日目 建築探訪、二日目 省エネミーティング、三日目 拠点総会と盛りだくさんな内容でした。

今回は省エネミーティングの合間を縫って訪れた 私の推し活のお話です。

私には 推し建築家 がいます。
“ 妻木頼黄(つまき よりなか )” 100年前、東京駅を手掛けた辰野金吾と同時代活躍された建築家です。妻木頼黄が手掛けた建築物は 横浜赤レンガ倉庫 などがあります。

初めて彼の名前を知ったのは小説 “ 剛心 ” でした。
明治時代の東京にどうやって街をつくるのか? がどうやって日本を建て直すのか? と近い意味で語られとても面白い小説でした。

武家としてのルーツもありながら不遇な子供時代を過ごし、官僚となってその時々の重要な建築物に携わってゆきます。小説で語られるメインとなる建物が広島にありました。

それは “ 広島臨時仮議事堂 ” です。明治27年(1894)の10月に 日清戦争の臨時帝国議会を招集するためにたった 20日間で建てられた と小説の中では語られています。

小説を読んで、妻木頼黄が実在したということを確かめたくて他に携わった建築物をめぐってみましたが、広島仮議事堂は私の中では特別でした。
設計から職人さんや材料手配、最後の仕上げまで期間内に収めるまでの工法も手腕も気になりますがその場所に行くことが私には重要でした。
おそらく妻木頼黄 自身も自身の力を総動員して建築したことには違いないと思ったからです。

今は跡地に説明の記念碑が建っています。

仮議事堂であったため完成から 4年で取り壊されてしまいましたが、その場所に行けば当時の設計者、職人さん、携わった人たちの気持ちにすこしは近づけるような気がしたのです。

住宅医の勉強をさせていただいたあと私は、残すことができる建物を住まい手さんにとってよりよく残すためにはどうしたら良いのか? を考えリフォームやリノベーション工事に携わってきました。

よりよく残すという考えの中で工事の仕方、部材の選び方、工事範囲、金額などのバランスには正解があるのかという迷路に迷い込むことがあります。
その時、残すべき建物なのか? という考えに行きつくことがあります。私は当時の建てられた人、代々つないできた歴史とともに街の中の誰かの記憶として残っている部分を忘れたくないと思っています。

その建物を所有している人だけでは判断できない何かも建物にはある、そう思った時、三澤文子先生が紹介してくれた、「 形あるものが消えると、記憶も消える 」 注) という言葉を思い出してみたいです。

注)京都工芸繊維大学特任教授 花田佳明氏 が講義(2011年 MOKスクール)の中でお話された【「形あるものはいつか消える、残るのは記憶だけだ」という言い方があるが、わたしたちが暮らす町においては、「形あるものが消えると、記憶も消える」】という お考え。(編集部)

写真・文章:梅村 裕子
©Umemura Yuko, jutakui


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