各地の住宅医の日々No45 松ヶ丘を「能」の地に提案
清水 國雄( 住宅医 /清水建築工房 一級建築士事務所 / 静岡県 )
歌を忘れたカナリヤか?
レナード・コーレン、バーナード・ルドルフスキー、アレックス・カーなるアメリカ人をご存じの方も多いと思います。彼らは、日本文化の洗練さと深淵さに魅せられて、日本のファンとなってしまったが故に、日本の美について、特に「侘び・寂び・幽玄」語れない日本人に、驚きとショックを覚え、悲しむ人達である。
アレックス・カーは「侘び・寂び・幽玄」に限らないが、日本の深刻な文化の危機、その根底にある美意識の危機を語る。
レナード・コーレンは「沼津御用邸で開かれ茶会にて、三名の著名な建築家が設えた茶室に「わびもさびを感じさせるかけらもなかった……日本人から「侘び・寂び・幽玄」を理解できる人物がいなくなっているのではないか」と強い疑念を抱いたと告白している。
ルドルフスキーは「私が一番驚いたのは、アメリカの使い捨ての文化を安易に取り入れていることだった」「東京はブルックリンより東洋性を欠いている」などと辛口の批判を浴びせた。
そして彼らは「侘び・寂び・幽玄 を説明できる日本人にお目にかかったことがない」と口をそろえながらこう結んでいる。「侘び、寂び、幽玄は深淵で、多元的で、捉えどころのない美であり、それこそが俗っぽい文化に対抗できるものだ」と。
日本人はいつ頃か、「侘び」「寂び」を「わびさび」と云うようになった、しかし元来、「侘び」と「寂び」は異なる意味を持っていたはずだから、「わびさび」と一緒くたにすることからして「侘び」「寂び」の認識不足でなないかと思えてしまう。幽玄に至っては死語であるかのような印象だ。
過日、哲学と日本人に関する興味深い指摘を知った。明治期の思想家・中江兆民が「我が日本、古来より今に至るまで哲学なし」と述べているが如く、日本には哲学する文化、精神が存在しなかったという考察が一般的という指摘だ。
これに対して、美学者・哲学者の大西克礼の論は深く心に染み入り勇気を与てくれた。
大西は「いやいやそんなことはない」とばかりに、近代以前の日本人は美意識を深く思索することによって広い意味で哲学をしていたんだ(『日本美を哲学する・田中久文』からの孫引き)と述べている。
「侘び・寂び・幽玄」に通底する美意識である隠棲や、閉居を楽しむ、自発的清貧さを精神的な豊かさに深化させた根底には禅林文化があった。思考や感性の鍛錬を求めた禅の精神が、日本人の美意識に様々な角度から影響を与えたはずである。「侘び・寂び・幽玄」といった美意識をめぐって展開された思索は、日本の気候風土に根差した日本人の生き方に関するもので、まさに哲学的なものだったと言っていいだろう。
美意識の思索を通じ日本人のあり方を哲学してきた日本において、コーレンやルドルフスキー、カーの指摘は至極残念である、果たして我々は類まれな美意識や美の面影を放棄してしまった「歌を忘れたカナリヤ」なのだろうか。
閑話休題
私の住む静岡県掛川市は、江戸時代まで掛川藩と称する東海道の城下町・宿場町であった。江戸時代は参勤交代によって街道が整備され、それに伴い江戸や京の文化の伝播が始まり、諸国間も交流が盛んになった時代でもある。
掛川藩は藩主太田公による学問や文化の奨励を受け、遠江における学芸文化の府となっていく。
一休宗純のような文化のネットワーカーが活躍し、書画においては文人墨客が集い切磋琢磨した。学問においては儒学者を登用し、教育では儒学は勿論のこと庶民にとって学びやすい心学(*1)にも力を入れた結果、掛川藩内に儒学や心学が浸透していった。
そんな中、油の商いで財を成し名字帯刀を許された商人がいた。彼は商人としての徳を求道し、義(公正さ)こそが社会の根源的なおおもとであると考え、義の中に利を発見しようとした。
第四代当主は、自らを「以善堂」(*2)と号し、これを職業倫理に掲げ同志を集め、代々、万右衛門を名のった。
万右衛門は特に心学を広めることに心を砕き、その興隆に努めた結果、掛川は駿河・遠州の中心地となった。この活動はその後の報徳思想の普及・定着の根となり、報徳運動の一大拠点となり現在に至る。ここに儒学・心学がもたらした良き影響を見ることができる。
幕藩体制の解体後、交通網の整備や銀行の設立等に私財を投じて掛川の近代化を支えた中興の祖(*3 )と呼ぶべき人物こそが8代目山﨑万右衛門(*4)である。
10数年ほど前、山﨑家の人々が居住していた旧家(松ヶ丘と称する(*5))が解体の危機に瀕した際、市民の熱い要望が通じて幸いにも掛川市が購入することに決まり、解体は回避された。
そして早速、松ヶ丘の活用を市民活動によって推進するプロジェクト委員会なる組織が立ち上がり、僕もその末席につらなった。
活用に関して僕の案は、掛川が最も輝いた江戸末期の文化的興隆を取り戻そうという提案であり、京都の教学のシステム(*6)を参考に、先ずは松ヶ丘を「能」の地にすべきという提案である。
宝生流シテ方能楽師に松ヶ丘をみていただいた処、舞台として稽古場として大変良い評価をいただき勇気を得た。
「能」とは唐突のようであるが「能」が武家の式楽であった経緯を考えれば、掛川藩は城下町であったこと、しかも全国でも数少ない御殿(*7)が健在である。「能」が演じられ、仕舞や謡が披露されていたとしてもおかしな話ではない。
実際、半世紀前まで町の彼方此方で、旦那衆の謡の声が家々から響いていたと聞く。さらに掛川祭りは芸能の祭りと呼ばれ、舞踊を披露する余興が披露される、特に「奴道中」、「かんからまち」、「大獅子」は三大余興と呼ばれて有名であり、文化の府とし興隆した江戸後期が源流とされる。
魁より始めよ
「侘び・寂び・幽玄」に限らないが、日本の美に通底奏音のように響く美意識を磨き上げることは大切だと思う。
僕は建築の設計を通して日本の文化や美について語る機会が多々あったにもかかわらず、残念ながら語る言葉を持っていなかった、床ノ間に軸がなきが如くである。
大げさに感ずる向きもあるとは思うが、美意識を高め、感性を磨こうと思い立ち、観て、感じて、言葉(文章)にすることを自らに課した。
美意識を育むために、もとより、趣味であった古民家や社寺仏閣の観て歩きと絡め、日本の美の宝庫である美術作品を観て、感じ、文章にする。さらに、先の松ヶ丘活用の提案の手前「能」に関してなんの見識も持たないのでは説得力に欠けると思い立ち「能」の鑑賞と稽古を始めた。
魁より始めよ━である、勿論、先ずは仕舞いではなく謡の稽古ではあるが。
「能」は幽玄美を体現し、古典の習得や教養を身に着ける効用がある、「能」の詞章(*8)には源氏物語、平家物語、古今和歌集から故事来歴に至るまで古典がちりばめられており、先人の美意識を学ぶにもってこいだろう。
例えば「能」ではないが、八橋蒔絵螺鈿硯箱(尾形光琳作)は伊勢物語の一場面を想起させる意匠で彩られるなど、美と古典は密接に関連づけられている。
美のリーダーシップ
美意識が注目を浴びるのは文化や芸術の世界だけではない。
著作家、独立研究者として活躍する山口周氏は
「様々な要素が複雑に絡みあった世界において …中略… 世界の経営者は全体を直感的に捉える感性と、「真・善・美」を判断するための美意識が求められる」「美意識が経営判断の物差しになっていく」と、世界の経営者が備えるべき資質として美のリーダーシップを上げている。
まことに興味深い指摘です。
振り返ればすでに日本では、徳を希求した万右衛門のように、18世紀に美意識を経営判断の規範として商を行った商人が存在した。それは掛川という土壌が稀有だったわけではない。
大阪の商人によって開設された懐徳堂のように、全国と知的ネットワークを結び美意識を磨いた事例の如く、美のリーダーシップを商人の資質として希求し続けた歴史がある。
経営者としての美意識と日本の伝統的な美意識は違うのではと思う向きもあるだろう。美意識は気候風土や育まれた文化の投影に外ならない「侘び・寂び・幽玄」や、義の中に利を発見し精神的豊かさを求めた美意識は日本文化の投影にということになるのではないか。
現れる「かたち」が違うだけである。
さて山口氏の指摘のとおりであれば、類まれなる美意識を育んだ歴史を持つ日本人にとってチャンス到来ともいえる……。
しかし、翻って、コーレンやルドルフスキーが指摘するように、はたして我々日本人は「侘び・寂び・幽玄」に代表される美意識を失ってしまったのだろうか。
だとすれば、我々は再度この美意識に向き合い、思索を深める必要があるのではないか。
世阿弥の能楽論を記した「花鏡」に『「なすわざ」ばかりでなく「せぬ隙」こそ面白き』とある。
これを、「せぬ隙」を磨く=美意識を磨くと「なすわざ」が充実する=内面の充実が図られて自由な創造が可能となると勝手に解釈している。
「何事を成すも美意識という深淵なる意なくして浅薄さは免れない」中江兆民
最後まで読んでいただきありがとうございます。
「美」について深く研究し、鋭く考察を重ねたわけでもない設計者の私見なので、細部に厳密さを欠き、意味不明な点があるやもしれません。ご容赦ください。
写真・文:清水 國雄
©Shimizu Kunio , jutakui
(*1) 神道・儒学・仏教の三教を融合して、その教旨を平易な言葉と通俗な例えで説いた一種の庶民教育「広辞苑 第五版」
(*2) 善い行いをする人が集まり、善い行いをする人を育てる。
(*3)そんな評価が市民の間にあるわけではなく、僕の勝手な妄想である。
(*4)山﨑千三郎(1856〜1896)
(*5)主屋・長屋門等 安政3年(1856年)築、木造平屋建て一部2階建て、江戸後期の大規模住宅。
(*6)京都の文化継承の仕組み
(*7) 現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所だけ。
(*8)謡曲や浄瑠璃など音楽的要素のある演劇作。
参考文献
wabi-sabi・わびさびを読み解く レナード・コーヘン ㈱ピー・エヌ・エヌ新社
キモノマインド バーナード・ルドルフスキー 鹿島出版
犬と鬼 アレックス・カー 講談社
一年有半・続一年有半 中江兆民 岩波出版
日本美を哲学する 田中久文 青土社
侘び然び幽玄のこころ 森神逍遥 桜の花出版
懐徳堂 テツオ・ナジタ 岩波出版
数寄屋町文化研究 上田篤・野口美津子編 鹿島出版
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか 山口周 光文社新書
世阿弥・花の哲学 成川武夫 玉川大学出版部
松ヶ丘「以善会レポート」 中山正清
LINK
・清水建築工房 一級建築士事務所 https://shimizu-arc.jp/