各地の住宅医の日々No.19 ~私と福善寺と尾道の13年

米田 雅治 (住宅医 / 米田雅治建築設計事務所 / 広島県)

2年前に私の父が肺病で余命宣告を受け、それから半年後に介護状態になり、約1年と3か月私一人で在宅介護をしておりました。酸素呼吸器をつけての介護で、週3日ほどのデイサービスのみで毎日つきっきりでした。痩せて弱ってゆく父を世話してこの5月に最後を見届ける経験をいたしました。肉体的、精神的にかなり疲労困憊し、49日が過ぎて少し落ち着いたころに三澤先生より電話で記事の依頼がありました。タイミングよく福善寺の仕事も今年の初めに一区切りがつきましたのでそのご報告と尾道の様子をお伝えしたいと思います。
私が門信徒でもある福善寺の本堂と表庫裏(庫裏A)の改修の相談がありましたのが2009年。当時MOKスクールに通っており、そのことを三澤先生に相談したところ岐阜森林文化アカデミーの建築病理学講座を紹介され本堂庫裏を実習にして私と先生や実習生の皆さんで調査をしました。
報告書をもとに改修設計を終え、本堂の改修工事は2011年4月から2014年1月、屋根の吹き替えを10年前にしたばかりなので屋根はそのままで、梁から基礎までの耐震改修と断熱改修、バリアフリー化、小屋裏の補強をしました。工事期間の1年間は仏具業者による内陣装飾工事に費やされました。庫裏からのバリアフリー化を行ったスロープ廊下はかなり好評です。


本堂 外観

本堂 スロープ廊下

本堂 内陣

本堂 外陣

 

庫裏Aの改修工事は2014年7月から2016年7月、本堂と同じく屋根瓦の吹き替えを10年前にしたが、瓦を一旦下ろして野地板防水補修と小屋組み補強、梁から基礎までの耐震補強を行い、断熱改修もしっかりしたため、全館調湿熱交換換気ユニットで特に夏の湿気対策に効果を発揮、冬もさほど暖房を使用せずとも暖かいと大変好評です。


庫裏A 外観

庫裏A 玄関

庫裏A 廊下から中庭を望む

庫裏A 門信徒台所

 

その後、鼓楼玄関棟の改修工事が2016年11月から2017年12月で、古い部材は使わず基礎からの全面改修となり、断熱改修とバリアフリー化も行いました。福善寺門信徒の棟梁が唐破風や鼓楼小屋組み組物を手刻みで仕上げました。


鼓楼玄関棟 外観

鼓楼玄関棟 軒組物工事

鼓楼玄関棟 鼓楼部吹き抜け

鼓楼玄関棟 応接室

 

庫裏奥の住まい(庫裏B)の減築改修工事が2018年4月から2022年1月で、2階建てを平屋に減築し、基礎からの全面改修となり、外断熱(等級5)で全館調湿熱交換換気ユニットを設置し、こちらも夏冬とも快適で大変好評を得ております。


庫裏B 外観

庫裏B 和室

庫裏B LDK

庫裏B 全館調湿熱交換換気ユニット

門信徒会館を残し一応改修事業は一区切りとなりましたが、現在納骨堂の外装改修の設計を依頼されております。また手を付けていなかった本堂軒裏の羽根木が折れ改修の工事もしております。一区切りとはいえまだまだいろいろ続きそうです。

 


尾道中心市街地

尾道の街の様子はこの10年ほどでずいぶん変わりました。私が住んでいる中心市街地も空き家が増え、肉屋、街中のスーパーマーケットも閉店となり買い物難民になりかけています。空き家となった商店は、取り壊されて駐車場に変わったり、リノベーションしてラーメン屋やカフェ、レンタサイクル店、宿泊施設等になった物件が20件以上あります。中でもONOMICHI-U2、湊のやど 出雲屋敷・島居邸洋館、LOG等は有名建築家によるリノベで一見の価値ありです。移住してくる新しい住民も増えてきています。JR尾道駅や市役所や千光寺山展望台(PEAK)も改築され真新しくなりました。コロナ禍前は、しまなみ海道のサイクリングコースが世界的に有名になりインバウンドの急増で尾道も白人の外国人が増えました。私も2回ほど道を尋ねられたこともありました。台湾のインフルエンサーに取り上げられたクレープ屋に行列ができたりもしていました。しかしコロナ禍でぱったりと客足が減り閉店したお店も数件あります。コロナも少し落ち着いて近年はホテルも2件ほど新築されました。それに引き換え古い老舗旅館が2件休館となり寂しいです。そこで、尾道の老舗旅館を2件ほど紹介させてください。

尾道の老舗旅館その1「竹村家」

竹村屋全景

竹村家は明治35年にアサヒビアホールの看板を掲げた洋食屋として尾道水道に面した防地川河口に創業。当時の様子は志賀直哉の小説「暗夜行路」にも登場します。現在、防地川は暗渠となり広い道に整備され往時を偲ぶことはできません。大正7年に火事で全焼し、大正9年に建替え、その際に木造二階建て数寄屋造りの料理旅館として再出発し現在に至っています。
2階にある舞台付の大広間は、折上げ格天井、東南2面開口で、東の尾道大橋から西の駅前桟橋方面まで尾道水道を一望できます。客室は網代の舟底天井や竹組の格天井、竹で作った床柱や落し掛けなど竹村家の名前にある「竹」をふんだんに使用し、随所に数寄屋大工の趣向を凝らした匠の技が見て取れます。建物、門、塀全て平成16年に登録有形文化財に指定されています。
志賀直哉や林芙美子が住んでいた尾道は文学の町としても有名ですが、先々代の女将さんは林芙美子と尾道高等女学校(現県立尾道東高校)時代の同級生だったそうです。
戦後は小津安二郎監督の「東京物語」のロケ地に使われ、ロケの間、監督と原節子はじめ俳優陣が竹村家に宿泊したそうです。昭和初期の小津ワールドの世界がここにはそのまま残っています。その映像に魅せられ、こちらに宿泊される観光客も少なくないそうです。平成20年には新藤兼人監督の映画「花は散れども」のロケに使われ再び竹村家が銀幕に登場しました。

 

尾道の老舗旅館その2「魚信」

魚信全景

尾道水道に面して建つ割烹旅館「魚信」は、建物が100年以上経っている数寄屋造りの老舗旅館です。昭和25年頃増改築工事を行いこの時3階建てに増築。その後は昭和52年ごろ、海岸通りの市道拡張で建物を一部削って塀を後ろに下げた他には外観はほとんど変っていないそうです。内装は細かい細工の施された数寄屋造りで、天井、床柱、内窓など部屋毎に趣向を凝らした意匠で当時の数寄屋大工の意気込みが感じ取れます。尾道には大正から昭和初期にかけて商家の別荘等として建てられた数寄屋建築がたくさん残っています。それらの古い建物は文学資料館になったり、迎賓館になったりと、空き家の公共利用が増えていますが、現役で使われている魚信は一見の価値があります。
魚信は、尾道の小魚を味わえる宿として有名ですが、特にオコゼ料理が絶品です。高度成長期には向島から「日立造船」、三原から「帝人」のお客様がタクシーで乗り付けられていたそうです。大林監督の映画のロケにもたびたび使われ、TVの取材も何度もされています。現在では数寄屋造りの建物を目当てに来られる観光客も多いそうです。宿泊だけでなく宴会、食事もできますので尾道にお越しの際はどうぞご利用ください。なお、事前に昼食を予約すれば3階の初音という部屋を見学させてくれるそうです。

最後に福善寺のことを詳しく解説いたします。天空の城で有名な竹田城の初代城主太田垣景光の孫が播磨の国本徳寺で出家し行英と名乗り播磨の英賀で道場を開いていたが秀吉軍に追い払われ、天正元年(1573年)尾道に下り福善寺を開基します。(信長軍を打つと息巻いていた行英を諭してこの地に根付かせたのが私の遠いご先祖であることを今の住職さんから聞きました。)その後、寛永7年(1630年)孫の行尊が今の地に福善寺を移し、江戸末期には烏丸大納言家より御内儀を迎えます。そのころ建てられた龍の彫り物のある山門の瓦や扉には烏丸家の家紋の鶴丸があしらわれています。鼓楼の妻面懸魚も鶴の彫刻でしたので今回も鶴の懸魚を再現いたしました。本堂の軒瓦も菊の御紋になっています。境内には市の天然記念物に指定された「鷲の松」があります。
本堂の改修時に母を亡くし、一連の改修後に父も福善寺に納骨させていただきました。遠いご先祖からの福善寺さんとのご縁を思うと感慨深いものを感じます。住職さんをはじめ調査に協力くださった三澤先生や実習生の皆様には本当に感謝いたします。ありがとうございました。

以上、尾道より米田が近況をお伝えしました。


【尾道建物情報】
ONOMICHI-U2 https://onomichi-u2.com/
湊のやど 出雲屋敷 https://minatonoyado.jp/yado/izumo/
湊のやど 島居邸洋館 https://minatonoyado.jp/yado/shimazui/
LOG https://l-og.jp
千光寺山展望台(PEAK) https://shimanami-cycle.or.jp/recommend/343/
竹村家 http://takemuraya.sakura.ne.jp/index.html
魚信 http://www.uonobu.jp/index.htm