[既存脳で描くということ]リレーコラム 2025年3月
住宅技術評論家 南雄三
阪神淡路大震災のの発生から30年が経過しました。丁度その年(1995)は自宅の再生工事が半ばを迎えていて、慌てて耐震に目を向けることになりました。関東大震災は生まれる前のことで、各地で大地震があってもどこか遠い話でした。なのにテレビ画面に映った神戸の惨状は東京に居る私をも震え上がらせたのです。
■その神戸で、気がついたら2階のベッドから階段を転げ落ちていたのが神戸大学名誉教授の早川和男先生でした。なぜか早川先生と講演でご一緒する機会に恵まれ、そこで早川先生は「住まいは福祉だ」という話をしていました。「地震の直接の犠牲者5502人の内、家の崩壊によるものは88%だった。住むということは安全・安心の基板であらねばならない・・住まいは福祉だ」というのです。私は住宅福祉論に続けて寒い家の不健康を訴えました。
住宅政策で復興
■早川先生に「戦後の日本はバラックを建てるしかなかったのに、なぜドイツでは昔通りの味わいある街並に再建されたのですか?」と質問すると、「さあ、なぜだろ」と考えながら「ドイツは99年ローンで、だからバラックでは借りれない」といいました。お金がないからバラックの日本と、長期ローンに耐えられない建築にはお金を貸さないドイツ・・。
■その後の勉強で、大戦で街の7~8割を破壊されたドイツは住宅再生が急務で、それを復興政策にしたのに対して、日本は重厚長大産業の育成を復興政策にして家は後回しにされたのだと分かりました。
■ドイツはアパートのオーナーを募集して、長期ローンを提供し、瓦礫の土地に昔通りの分厚い建物を建てました。多くの人が住む場所を得て、オーナーは家賃で潤い、街は昔の雰囲気を取り戻しました。
■ニュールンベルグでは「瓦礫の原に新しい街をつくるか、それとも古いままに再建するか」を問う住民投票で「昔のまま」が圧倒的多数を占め、今も観光ガイドブックに誇り高く書かれています。その迷路のような街は日本人観光客に「古くて素敵な街」と言わせるのです。
足下に移住
■日本にだって歴史をみせる街は多く、私はブリージャーWalkを続けています。残念なのは歴史的な街並の中に一つ二つと新建材の建物が混じってしまうこと。まるで古い街並にペンキで落書きしたのと同じ。
■南仏にレ・ボー(Les Baux)という10世紀に始まる城塞都市があって、一番高い岩の上にお城がありました。城は既に崩れていますが、その周りに往事の雰囲気を残した家や店が残って観光名所となっています。
■不便な場所の不便な家に住むことのストレスが新旧混在を生む前に、町は英断して「下に住もう」と決めました。町民は降りて新しい町をつくり、快適に暮らしながら朝になれば岩の上の仕事場に通うのです。「うまい!」と声が出ましたが、関西弁だともっと気が利いた言葉がありそうです。
セルフビルド
■建築家の古川泰司さんが基本設計をして70歳超えのご夫婦がコツコツと自力建設している家の見学会があったので参加しました。その外観をみただけで「おそれいりました」と頭が下がりました。まだまだ中が終わるまでには時間が掛かりますが、その執念ではなく「その内にはできる」という趣味を楽しむ空気感に感動しながら、「日本のセルフビルドはやっぱり大変過ぎる」という感想をもちました。工法も建材も標準化していなくて、資材をどこから買えばよいのかわからず、日曜大工店は雑貨屋でしかない。
■ChatGPTによれば、フィンランドはセルフビルドで家を建てる割合は20%程度ではないかといっています。ものスゴイ量ですが、「家は自分でつくるのが当たり前」からはじまる開拓魂は眩いばかりです。でも昔の日本なら…躯体を地場の大工がつくれば、後は左官屋が壁を塗り、畳屋と建具屋が床と障子、襖を置き、はめていった。だからメンテも改修も各職人を呼べば済むという環境ができていて、セルフビルドとは違った地場循環の家づくりが構築されていました。
これぞセルフ
■セルフで思い出すのが、メイフラワー号で新大陸/アメリカに入植した英国のピューリタン達の家でした。1620年に新大陸に辿り着き、プリマスに入植。そこでネイティブ(インディアン)に暮らし方を教わりながら粗末な家をつくるのですが、その様子が歴史博物館に残されています。
■それこそセルフビルドそのものですが、私がショックを受けたのはグループの指導者ウイリアム・ブラッドフォードが残した言葉でした。
■メイフラワー号に乗船したのは入植者102名+乗務員30名。二ヶ月の船旅でしたが、過酷な環境により約半数の入植者が命を落としました。その上で目の前に現れた新大陸をみつめがら書いた言葉とは・・「こうして多くの困難を経験して広い大洋を渡ってきたが、迎えてくれる友もなく、風雨に打たれてきた体をねぎらい休める宿もなく、行って助けを求めるべき家も街もなかった※」・・今や世界を揺さぶる大国になったアメリカの始まりは、こうした自分に味方するものが何一つないただの風景だったのです。想像するだけで無力感に落ち込みそうですが、そこから始まるセルフビルドは、粗末ではあっても計り知れない命が込められていたのでしょう。
■※「アメリカ人―その文化と人間形成 (講談社現代新書)加藤秀俊著」より
ホールライフカーボン
■ということで、頂いたお題は「改修」でしたが、いつものように私のキーボードが勝手に暴走して、新大陸にまで飛んでしまいました。図1をご覧下さい。
これは住宅環境の推移です。不健康な採暖を改善しようと高断熱・高気密が叫ばれましたが、温暖化に目が向くと再エネが加わりました。そこからもっと広い視野でのSDGsが始まり、一方で明確な目標として脱炭素が掲げられました。そして今、世界はホールライフカーボンの時代に入ろうとしています。
■ホールライフカーボンとはLCCO2の事で、一生涯に排出するCO2の量。例えば太陽光発電はパネルの廃棄が問題視されていますが、製造、施工、廃棄で排出するエンボディードCO2と運用時に発電して削減するオペレーショナルCO2を合わせれば、●年で元が取れるといった計算ができるようになります。
■省エネすれば省CO2になるといっても漠然とした期待で終わってしまいますが、ホールライフカーボンで捉えれば、家一軒のCO2収支が明白になって、「●●年後からはCO2を吸収する家になります」と表現することもできます。
■ホールライフカーボンで捉えれば、木造はRC造やS造より有利になり、もちろん新築より改修の方が、そして長命になればなるほど有利になり、大改修より日頃からの小さなメンテ・改修の方が有利になります。
日本でもホールライフカーボンを計算するJ-CATの開発が進められていて、戸建て住宅も数年後には計算できるようになります。
その先のテーマとは?
■さて、この図1には→があって、ホールライフカーボンの先に?がついています。
■つまりその先(未来)にどんなテーマが待っているのか?を問いています。ではこの?は何でしょうか?。私の答えが正しいとは限らないので、各自考えてみてください。
新築と既存
■重要なのはもう一つあって、それが縦に引かれた点線。点線の左(過去)が新築で右が既存の領域。今までは新築で対処すればよいと考えてきましたが、SDGsそして脱炭素は自分も含めた現状が対象になります。新築脳で考える時代は終わって、既存脳で考える時間が始まっているということです。
■ここで怖いのは・・新築なら仕事で頑張ろうとするのに、既存は自分のことだから「やらない」で済ましてしまうことです。仕事では省エネ、ZEHを威張っても、自分の家では他人事でしかありません。
■新築は「これから」なので、施主と共に性能を問うことができますが、既存は「在る・居る」でのことだから重い壁が立ちはだかります。
だったら「在る・居る」はお荷物なのかといえば、それは住まい手らしい暮らしと文化、想い出、こだわりなどが一杯詰まったもので、お荷物どころか施主にとっては宝物。その宝物を理解した上で、「変えたいものがある」「変えたくないものがある」「許していたいものもある」ことをみつけて改修の提案をすれば、面倒だけど、奥が深く、面白く、価値がみえてきます。とにかく変えるものは施主によって様々、変える目標は施主の気持ちで様々なのですから。
■新築脳で「G2に…」というのではなく、無理ない施工でつくる断熱性能に「在る・居る」を載せる…パッシブ、冷たくない床、パーソナルな暖房としての炬燵、対処療法としての厚着、湯たんぽ、夏なら扇風機等々・・これらプラスαを加えた提案をすれば、施主は自分脳で受け止め、自分で変える意志をみせることでしょう。
住宅技術評論家 南雄三
©Minami Yuzo , Society of Architectural Pathologists Japan 資料(①以外) 南雄三
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住楽考(南雄三氏HP) http://www.t3.rim.or.jp/~u-minami/
南雄三 YouTube https://www.youtube.com/channel/UCE6QzqGXvHl8ezfwxw4ZKUg/
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